あらたにす新聞案内人より
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2010年01月25日(月)
「国の形」の議論を始める時経済政策というものは、時々の異なる思想で運営される運命にある。「失われた時代」と称されるここ20年でも、まったく異なる二つの思想で経済運営が行われてきた。
○変遷する経済政策の思想
一つは、90年代バブル経済崩壊後のケインズ政策である。「短期的には財政赤字が拡大しても、減税・公共事業により需要を拡大して経済が回復すれば、税収は増加し財政赤字は縮小する」という考え方で、小泉内閣の成立前まで続いた考え方である。結果的には巨額の減税で歳入レベルを構造的に低下させ、無駄な公共事業を全国展開させる結果に終わった。
小泉内閣はこれを否定し、「大きな政府は非効率、政府の規模が小さいほど経済効率がいい」「効率良い政府で経済が活性化すれば、税収も増え赤字は解消される」という新たな考え方の下、規制緩和・構造改革による経済活性化と財政赤字の解消(プライマリーバランスの黒字化)を目指した。一方で、税制改革による歳入確保努力はなおざりにされてきた。
このような二つの思想に基づく経済政策は、現在まで続くデフレ経済と危機的な財政赤字から判断する限り、とても成功とは言い難いもので、そのことが民主党政権登場につながる原動力となった。
新たな鳩山内閣は「コンクリートからヒトへ」という政策スローガンを打ち出した。公共事業を削減して社会保障を充実させ、それを経済成長につなげるというような意味だと考えられる。しかし、昨年末に公表された経済成長戦略は、抽象的すぎて「国の形」が見えるようなものにはなっていない。「国の形」とは、受益と負担のバランスを取った上で、どの程度の規模の政府が何を行うのか、その具体的な姿を示すことである。はっきりしないまま、2010年度予算で示されたものは、「中福祉・小負担」で、受益と負担の間の莫大なアンバランス(財政赤字)である。
民主党マニフェストで約束された、「新規施策の財源は歳出削減で」が実行されず、他方で「4年間は消費税率を引き上げない」としているので、今後とも「中福祉・小負担」といういびつな「国の形」は続きそうである。○政府の規模と経済成長の関係
最新のOECD統計を使って、政府の規模と経済成長の関係を考えると、いろいろ新たなことが見えてくる。まず社会保障支出と経済成長の関係であるが、これまで高齢化で社会保障支出が嵩(かさ)んでくると国の活力が落ちると喧伝(けんでん)されてきたが、社会保障支出のレベルと経済成長との間には、負の関連は見受けられない、それどころか、社会保障レベルが上がるにつれて経済成長は安定的になっている。
次に、社会保障支出が充実している国ほど経済格差が小さいこと、格差が小さく平等度が高い国ほど、経済成長が高くなっていることも見て取れる。さらに、受益と負担のアンバランスのもたらす財政赤字が大きいほど経済成長が低いことが分かる。
このような事実の因果関係は必ずしもはっきりしないが、あえてストーリーを考えてみると「安定的な財源に裏打ちされた社会保障の充実は、人々に安心感を与え財布のひもを緩ませる。それが安定的な需要を生み出し経済成長につながる。また、格差が少ない社会では、みんなが切磋琢磨(せっさたくま)するので国民全体のレベルが上がり経済成長につながる」ということではなかろうか。
○切磋琢磨する国へ
そこで、「政府の規模を今より大きくして、人々の勤労意欲を高めるような方向で社会保障制度を充実させ、生活の安心度合いを高める。同時にそれに見合う負担を求め、経済リスクにつながる財政赤字の拡大を防止する」ということが新たな思想として出てくる。
社会福祉の内容を、医療・年金・介護中心から子育て、低所得者対策へ、さらには教育へとシフトさせる。グローバル経済の下で、中国等からの低価格品流入による低所得化・非正規雇用化を防ぐ最大の対策は、教育の質を上げ労働の付加価値を高めていくことだ。
このような政策にはいずれも財源が必要となる。そのためには、国民と政府の相互信頼が不可欠である。事業仕分けの恒久化といった無駄の排除を継続的に行うシステムの導入により国民の理解を得ることを考えなければならない。
国会が始まったが、議論の本質は、皆が安心して「切磋琢磨」することのできる国づくりを行う具体的な形と、その意思を問いただすことではなかろうか。
→あす(26日)の新聞案内人は、作家・編集者の森まゆみさんです。
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